2019.08.01
暑い暑い暑い暑い暑い。
毎日そればっかり。
でも、暑い時の楽しみもありますよね。
そう!ビール!
じゃないや、今回は花火!
花火は14世紀のイタリアが始まりとされているようで、日本に入ってきたのは室町時代に花火とみられるものを唐人が披露した、
という記録が見つかっています。
しかしより確実に花火と呼べるものは、戦国時代に火薬や鉄砲と共に伝来したと考えられていて、
ポルトガル人や唐人が関わっているという記録が多く残っているようです。
その頃の花火は、筒から火の粉が吹き出す形状でした。
江戸時代になると、花火を専門に扱う火薬屋が登場し、当時はねずみ花火の様なおもちゃ花火を売っていたと考えられています。
有名な「鍵屋」もその頃におもちゃ花火を売り出し、同時に大型花火の研究を進め、1717年には花火の打ち上げに成功しています。
それから十数年後の1733年にあった飢饉で、吉宗が慰霊と悪霊退散を願い両国大川の水祭りを行い、
そこで花火を打ち上げたのが隅田川の花火大会の起源とされています。
そして、もう一軒有名な「玉屋」は鍵屋から暖簾分けをして店を構えたのが始まりで、
両国橋で上流と下流を分けて受け持っていました。
その当時の打ち上げ花火は、橙色の強弱で表現されていましたが、明治になって大きく変化します。
塩素酸カリウム、アルミニウム、マグネシウム、炭酸ストロンチウム、硝酸バリウムなどの薬品が輸入され、
色彩も明るさも大きく変わりました。
また、大正には大きな音を出す技術も生まれました。
そうして進化してきた花火も、第二次世界大戦により一時は途絶えてしまいますが、現在では打ち上げにコンピューターを使う等、
その技術はますます進化しています。
そして、ここからは私の歴史(^^)/
私は、4歳の頃から約10年間、宇治に住んでいました。
当時の自宅から約1㎞にあった、平等院のすぐ近くの宇治川で花火大会があり、毎年楽しみに見ていました。
その後、また自宅から花火が見える地に、今度は親になって住んでいる時期があり、
やはり子供達は毎年楽しみにしていました。
赤ん坊のうちは大きな音に泣いてしまう事もありますが、子供は喜びますよね。
そして大人も、ビール片手に大喜び。
宇治川花火大会は、数年前の水害で中止になって以来、行われなくなってしまいましたし、
他にも近年の事故を受けて安全対策の見直し、それによる設備、人員や予算の問題などで、
開催できなくなってしまった花火大会もあります。
しかし、上田とうふの隣町、亀岡の花火大会は毎年盛大に行われています。
今年の開催は8月11日です。
有料観覧席もあります。
道路の渋滞、電車も混雑が予想されます。どうぞお気をつけてお越しください。