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【お豆通信】vol.70 鯉のぼり

2020.05.01

♪やねよ~り~た~か~い♪こいの~ぼ~り~♪

 

一年前に、このお豆通信で端午の節句をとりあげて、その中でこいのぼりについても、ちょっぴり触れました。

 

その時に、鯉の滝登りのように勢いのある姿を男の子に写し、出世と健康を祈りました、と説明しましたが、

今回はもうちょっと掘り下げてみたいと思います。

 

 

 

端午の節句については、既に奈良時代にその記述が残っているようですが、時代と共に形を変えていき、

平安時代には武士が幟(のぼり)を立てるようになっていたようです。

 

 

それを江戸の商人が真似て立てたのが、鯉の形をした旗であったことが始まりとの説が有力です。

そこから、現在私たちが知っている、筒状の鯉の中を風が通る吹き流しの形に変化していきました。

 

しかし、当時は全国的な風習ではなかったようで、関西でこいのぼりを立てる事はありませんでした。

 

地域性で言えば、不思議なこいのぼりもあります。

 

 

上田とうふから北へ向かい、日本海に出る手前に京丹後市大宮町という所があります。

その中の三重という地域でだけ行われるものなのですが、鯉では無くガラクタを竿に括りつけて、庭先に立てるのです。

もはやこいのぼりではありませんが、端午の節句と同時期に行われます。

 

しかし、意味合いが少々異なります。

結婚を祝い子宝に恵まれるよう願う行事で、新婚一年目のお宅でしか見る事ができません。

 

 

その光景を私は20年以上前に、一度だけ見た事があるのですが、その時の写真が残っていませんので、三重のホームページをご覧ください。

 

https://miemorimoto-kyoto.com/img/area_event-mie_image01.jpg

 

https://miemorimoto-kyoto.com/area/mie/

 

これは極端な例ですが、祝い方は地域により様々でしょうねぇ。

 

 

でも、現在では広く知られる、黒、赤、青の鯉のぼりの方が、歴史的に見れば珍しいのかも知れません。

 

だって、この形になったのはごく最近だからです。

 

こいのぼりが立てられるようになった当初は黒い真鯉だけだったようで、やがて赤い緋鯉(ひごい)も揚げるようになったようですが、

青鯉も共に大空を泳ぐようになったのは昭和30年代になってからです。

 

真鯉と緋鯉だけの時代は、それぞれ父と息子の象徴だったようですが、青鯉が加わった事とその時代の変化によって、父、母、子供、と意味合いも変わってきたのですね。

 

これで、冒頭に歌った童謡の謎が解明しました。

 

子供の頃に歌いながら、なぜ歌詞にお母さんが登場しないのだろうと思っていたのですが、この歌が発表されたのが昭和6年だったからです。

 

時代の流れによって風習も変化します。家庭での権限がお母さんにある現代では、こいのぼりの順番も危うくなってきました。

上からの順番に、緋鯉、青鯉、真鯉と飾られるようになる日も近いかも。

 

 

でも、どうか真鯉を外すのだけは止めてくださいね。

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