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【お豆通信】vol.2上田とうふの歴史

2017.05.17

こんにちは。

 

上田とうふです。

 

前回のきぬごし豆腐ともめん豆腐の記事は読んでいただきましたか?

毎日のごくごく少しの時間でも良いので、みなさんに豆腐のことを考えてほしいなあと

願いを込めながらこのコラムを書いております。(コラムと言うとなんだか洒落た感じがしてイイですね。)

そんな気持ちが少し洒落こんでいる今回は、我が上田とうふの歴史についてご紹介いたします。

【八百屋になるはずが…え?聞いてないで!】


 

我が、上田とうふを一代で立ち上げた社長・上田秀夫。

 

豆腐屋を開くまで、そして現在に至るまでには紆余曲折ありました。

 

社長の上田秀夫は、昭和20年京都大原野生まれの現在72歳。

もともとは豆腐屋に縁はなく、10代の頃より向日町で兄の営む八百屋で働いていました。

将来的にはその八百屋を継ぐ約束もしており、安定した人生を歩めるぞ~~と思っていたそんな折でした。

 

「秀夫、八百屋は息子に継がせるわ。」

 

てっきり継げるものだと思っていた秀夫の目は点。

しかし、働かないわけにはいかない。

そんな時に、洛西ニュータウンの街整備が行われ大原野の境谷商店街に市場ができるという話を聞きつけ、

すぐに八百屋を申請。…が、八百屋は既に入っており断念した結果、仕方なしに豆腐屋を申請。(仕方なして!)

もちろん豆腐の知識なんて豆ほどもなかったため、知り合いの豆腐屋に1週間ほど教わっていきなりオープン。(1週間て!)

 

それが上田とうふの第一歩でした。

 

 

これは、社長が当時参加した旅行の集合写真です。

この頃は、これからどうなるのか不安半分楽しみ半分でした。まさか紆余曲折あろうとは…。

 

【時代の流れと素人豆腐売り】


 

素人とはいえ、お客さんにとったらそんなもの関係ない。

非常にありがたいことにお客さんはどんどんくる。

毎日豆腐を食べる人がたくさんいる。

 

ろくすっぽ豆腐を作れないけど、毎日来てくださるお客さんのために早朝から夜中まで必死に働きました。

そして、油揚げはどこにもないものを作ろうと日々研究しました。

そんな忙しい日々を送る中で、一つ印象に残っているエピソードがあります。

 

社長がある知人と話している時でした。

 

社長「A店とB店ならどちらの豆腐屋が良いですかね?」

 

すると、知人は迷うことなく

 

「A店」と答えました。

 

理由を尋ねると、

 

「豆腐の美味い不味いじゃなくて、A店の方が清潔で綺麗だ。」

 

と答えました。食品を取り扱う店舗なら至極当然のことですが、

美味しい豆腐を作るための環境、そしてお客さんが通いたくなるような

お店づくりの基礎として改めて思い起こした言葉でした。

 

それ以来、当時のその言葉と思いは今でも心がけています。

 

さて、忙しい日々を送っていた開業当時ですが、当時の時代背景もあってか非常に豆腐が売れました。

その資金を元にさまざまな商売を広げ始めたのが創業10年を過ぎたあたりです。

中華料理店や写真館など、次々といろんな業種を展開していきました。

 

しかし、上手くいくのは最初だけ。

 

気づけば手元に残ったのは多くの借金と豆腐屋だけ。

そして、そんな豆腐屋も時代と共に衰退産業となってきました。

そんな折、知り合いに卸先を紹介してもらいましたが、

そのためにはある程度の規模の生産体制が必要と聞き、藁にもすがる思いで本格的に会社設立となりました。

それが現住所の上田とうふです。

 

当時は、豆腐屋というと卸と小売りの兼業が主流となっていきている時代でした。

そんな中、上田とうふは時代の流れとは逆方向の卸専門の道へと進んでいきました。

その上、市場時代とは異なる設備。

 

豆腐は非常に繊細な食べ物です。

温度・湿度・機械などの環境が少しでも異なると、まったく違う豆腐になってしまう。

なかなか納得いくものができず、廃棄の毎日でした。

 

さらにさらに、悪いことは重なるものですねえ。

紹介された卸先も、ふたを開ければ注文なんてほとんどゼロ。

豆腐が売れていた市場時代を懐かしむ日々でした。

 

 

ちなみにこの写真は、ゴルフを楽しんでいる秀夫社長です。

こうして見ると、忙しい時やつらい時の写真はありません。

それほど当時は休む暇もなかったのでしょうね。

 

 

【経営の存亡を救ったのはこだわりの油揚げ】


 

紹介された卸先がダメとなったら、そこからは地道な営業活動の日々。

自分たちが作った豆腐をたくさんの人々に届けたい。

その一心でした。

 

しかし、営業活動をしてもそんな上手いこといくはずもなく、

 

「何処の豆腐屋やねん!」「味が濃すぎやねん!」

 

と毎日毎日門前払い。

そんな経営の存亡を救ったのは、忙しい市場時代に研究して作ったこだわりの油揚げでした。

様々な方面の方々に油揚げが認められ始め、

 

「他にはない美味い油揚げだ。ぜひ取引したい。」

 

との声が少しずつ増えていきました。

そこから少しずつ卸先が増え、今に至ります。

 

 

【卸専門から小売り販売まで。進化する上田とうふ】


 

会社設立当初は卸業のみでしたが、現在は本社の工房ではもちろん、

川西阪急の地下1階に、「豆腐工房うえ田」をオープンしました。

他にも、西武高槻の地下1階にも小売り店舗があります。

 

人気のこだわり油揚げも勿論取り揃えておりますので、ぜひお越しくださいませ!

(取扱い店舗はこちらから→http://www.uedatofu.com/shop/

 

 

最後に、いつかの旅行の写真です。社長と子どもたち。

つらかった時・忙しかった時に心の支えとなったのはいつだって家族や従業員でした。

 

 

 

このように、現在に至るまで紆余曲折ありましたが、

これからも、たくさんの方々に私たちのこだわりの豆腐や加工品をお届けするべく進化していきます。

そんな日々進化している上田とうふのお豆腐たちを是非ご賞味くださいませ!

 

 

 

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