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【お豆通信】vol.43 ふたつの本願寺

2019.03.01

ふたつの本願寺

 

京都にお越しの際、新幹線などをご利用になり京都駅に降り立たれる方が多いと思います。

その京都駅の正面玄関を出て、右手に見える烏丸通を上がれば(北へ行けば)本願寺。

そして、左に進んで堀川通を上がれば西本願寺があります。

 

 

 

 

 

その名称から、本願寺の東館、西館のようなものに感じますが、実はそうではありません。

それぞれ別のお寺であるという事を 京都の人の多くが知っていますが、詳しいことを知っている人は少ないようです。

私もその一人で、東本願寺系の学校に通っていたにも関わらず、しかも、学校行事で東本願寺にお参りし、

なにがしかの話を聞いているはずなのに、全く覚えていません。

その話を何人かにしたところ、「うちの子も学校からお参りに行きました。あれ?でも、西?東?どっちに行ったかな?」と、

言う人もありました。 そのくらい曖昧で、知らない人が多いのです。

これは『京都人あるある』で、地元なのに有名な社寺について知らなかったり、行ったこともないという人が非常に多いです。

ですから、あなたの傍に京都から赴任されている方が居られて、京都のことを質問して上手く答えてもらえなくても、責めないで下さいね!

 

さて、話を元に、本願寺のことですが・・・、

そもそも本願寺と言ってしまえば、西本願寺だけのことを指すようです。

本願寺は、浄土真宗を開かれた親鸞聖人の廟堂(びょうどう)が起源になります。

親鸞聖人の没後10年目(1272年)に影像と遺骨を東山に安置されたのが大谷廟堂です。

 

そして1321年頃に、本願寺の名が公称されるようになりました。 その後、親鸞聖人の教えが急速に広まったことにより他宗教を刺激したり、

戦乱の世になり権力闘争に巻き込まれたりで、寺の焼失や失脚を何度も繰り返しながら各地を転々としました。

そんな歴史をたどりながらも、その平等の教えは各地の民衆に受け入れられ、広まっていきました。

 

そして漸く、豊臣秀吉により戦国時代が終わると、1591年秀吉の京都市街計画により現在の地に移す事が決められたのです。

と、ここまでが西本願寺のお話で、歴史は少し戻って1580年石山戦争の終息のため本願寺は織田信長との和議を果たしましたが、

その時に徹底抗戦を唱えていた勢力が、徳川家康より1602年に今の東本願寺の地を与えられました。

 

これを起源に、浄土真宗本願寺派、浄土真宗大谷派に分かれ、その立地からそれぞれを西本願寺、東本願寺と呼ばれるようになりました。

ざっと調べた事を要約してみましたが、ご理解いただけましたでしょうか。

 

私も頭がこんがらがってきました (^_^;)

 

 

そんな歴史ある西本願寺で、

「西」ですよ!「西!」

3月2日(土)3日(日)に「和食の祭典」が催されます。

 

 

 

 

和食、その食材についての展示やトークイベントによる、学び。

また、試飲や和食づくりなどの、体験。

それに、フードコートで、味わう。

 

そして、販売のブースも多数あります。

その中に、上田とうふも呼んでいただいております。

 

ここのところ気温も高く、お出掛けしやすくなってまいりましたので、是非お越しください。

 

詳しくはこちらへ

http://washoku-kyoto.jp/

 

 

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